感動。

私は感動屋である。
といっても、感動することでお金を得ているわけではない。感動しやすい、ということだ。
どのくらい感動しやすいかというと。
今日はたまたま早く帰ってきてTVをみてたらポケットモンスターが始まった。
冒頭にTVから離れて部屋を明るくしてみてね、というようなテロップが流れたので忠実に守りつつ見ていると、
後半の方でロケット団とニャースの、ちょっと感動的な話になった。
私は泣いた。
どういう話だったかをここに書くと、私が自分で読んで「こんなことで感動してたのか?私は?」と
むなしい気持ちになるので書かない。もっと文章力があれば、ここで再現するのだが。
 
中学生の時は、ドラえもんの単行本第6巻の一番最後の「さようならドラえもん」で感動した。
この年になっても、タイトルを覚えていることからも、当時どれくらい感動したかがわかるかと思う。
いや、でも、もし間違ってたらごめんなさい。
同じ頃にジャッキーチェンの映画を見に行って、ジャッキーの仲間の弱っちいやつが、よせばいいのに
敵側の怖い組織に乗り込んでボコボコにされるところでも感動した。
これはちょっとどういう風に感動したかが伝わりにくいので説明すると、
「弱いくせに、そんなことしなくていいのに・・。あとでジャッキーチェンがなんとかしてくれるのに。でも・・よくやった!」
という、やや複雑な感動である。
ちなみに、このときは、ちょっとコミカルな感じでボコボコにされていたので、映画を見ている客の中で
小さな笑いが起こっていたが、
「何がおかしいんだ! 彼はな・・彼はな・・!」
と弁護したい気持ちでいっぱいだったが、ちょっと恥ずかしいのでやめておいた。

あとは、感動する場面を茶化されるのがすごく嫌である。
友人等と一緒に行くと、自分も感動しているのを悟られない為か、
わざわざ話を茶化したりする。うるさい!見たくないなら帰れ!である。
あ、でもこの映画って君のおごりだったっけ。ごめんごめん。

こういう理由で、ちょっとでも感動しそうな映画は誰かと見に行くのが嫌である。
もっとも、これだけではなく、ストーリー解説おやじが出没したり、暗いからといって
激しくいちゃついてるカップルが前の席にいたり、空き瓶転がして遊ぶ子供が
いたりして落ち着けないので、徐々に遠ざかっていったのだ。
また、私の感動の仕方はかなり激しい、というのも理由の一つである。
大量の涙と共に、鼻水も大量に出す。さらに、はぅっ、はぅっと不気味な
嗚咽をもらす・・ようだ。

このように、漫画だの小説だのTVだの映画だの、架空の世界では感動できるのだが、
現実の世界ではなかなか感動できない。
せいぜい、大掃除してたら冷蔵庫の裏から500円出てきた。感動。という程度である。

現実で感動できるシーンは・・、そういえば来月私は誕生日を迎えるのだが、
何かプレゼントでももらえば感動できるかもしれない。
という訳で何かください。
くれくれっ、感動しちゃうぞ、というところで今回の日記を終了する。


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