ちょっと思い出話をしよう。

あれは何年前だったかもう思い出せないが、既に私の肉体はおっさんだったような気がするので、せいぜい数年前だろう。

当時スノーボードをやり始めていた時期だったが、当然のように夏は出来ない。
全く鍛えていない肉体で海で遊ぶのはなんとなく気が引ける。
こう考えた私は、学生時代からの友人であるMえだ氏を誘い、ローラーブレードを始めた。

世間はまさに、ローラーブレードが全くはやっていない時期だった。その証拠に本屋に行ってもほとんどローラーブレードに関する書籍が無かった。きっと全盛期はヒカルゲンジというグループが芸能界で活躍していた頃だったと思う。

ローラーブレードという呼び名は商品名で、本当はインラインスケートという呼び方が正しいらしい。が、ローラーブレードの方がゴロがいいのでそちらを主に使っていた。

ローラーブレードをしている自分の姿に自信がもてなかった私は、主に夜に練習をした。
週末などは、夜が明ける前に家を出て周囲を滑り回る。おそらく巡回中の警官に見つかったら呼び止められるだろう。
何してるんだ、とか聞かれても、いや滑ってるんです、と答えるしかないのだが。

渋滞前にドライブに出かけようと朝早く準備をしている人たちに発見され、気まずい感じになったこともある。

滑っていたら夜が明けて、太極拳だか、ゲートボールだかをしに行くお年寄り軍団に注目を浴びたこともある。

地下鉄の駅で一つ隣の、自転車で10分くらいで行ける場所からローラーブレードで帰ってきたこともある。表通りをさけていたら、迷いに迷って、2時間かかった。

そして、千葉の浦安という、Mえだ氏が当時住んでいた場所の近くで滑ることを覚えた。

車の通りが少なくて、道路がすべすべで、非常に具合がいいのだ。

そしてある日、「ローラーブレードでディズニーランドに行こう、ただし夜中」計画を立てた。内容は読んだ通りだ。

当時の私は、簡単に荒い流せる染料で週末だけ髪を染めるのが好きだった。よく見れば赤っぽいかも、という髪でこの計画に挑む。

出発し、結構あっけなくディズニーランドに到着したのでそのまま先に進む。

当時私は会社に好きな子がいて、
「おれ、xxさんに会うためにだけ会社来てるから。あははー」
とその子に言ったところ、
「へえ、それだけですか?」と予想外に冷静な返事をされて困ったことがある。

その話をするとMえだ氏は大層受けていた。
今思えば、ローラーブレードで疲れた為に脳内に変な物質が出ていて笑いやすくなっていたのかもしれない。

帰り着くころには汗だくだった。やったなあ、というすごい充実感。

これを境に、ローラーブレードをした記憶がない。

そう、確かMえだ氏が車を買ったのだ。
私と遊んでくれる回数も減っていった気がする。

そのうちに彼は地元関西に異動して行った。

彼が行ってから、私にも何人か新しい知り合いが出来たが、私の大好きなくだらないこと、ばかばかしいことに賛同してくれる人は居なかった。

一人で遠出することにも慣れた今、たまにはローラーブレードをやってみようかと一瞬思うが、どう考えても夜中にディズニーランドに行ったあの日を越える楽しさは得られそうにない。

そして私は今、何か新しいくだらないことやばかばかしいことを探しているのだった。

という訳で、Mえだ氏、これ見てたら連絡下さい。と、私信を出したところで今回の日記を終わる。


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