船を後にして、先に進むとトンネルに差し掛かった。

トンネルの横になにやら注意書きらしき看板があるな。


トンネル内の事故発生ボタンを押すいたずらが流行っているんだそうだ。

子どもか!

いや、きっと子どもなんだろう。


トンネルを通過してしばらく進むとホームセンターがあった。電池を買おうと思って入店する。

やせた猫がめちゃめちゃ自然に店に入ってきた。

買物ですか。ええ、猫缶が切れたもので。

例によって猫の声を担当しているのは私だ。


店を出ると別の猫が居た。ねこゾーンかここは。
店の入り口では、スーツ姿の男性二人が一生懸命ビニールのおもちゃみたいなのを空気入れで膨らましていた。何をしているのかと思ったらYAHOO!BBのモデム配り係だったようだ。

こんなとこにもYAHOO!BB。感心した。


ああ。

はらみ好きの私の魂をゆさぶるコインランドリー。はらみと言えば焼肉、そういう回路が頭の中に出来上がっている私にとって、これは残酷な光景だ。

コインランドリーの中でぐるぐる回るはらみ達。洗濯物にからみつくはらみ達。やがて水が注ぎ込まれ、洗濯・すすぎ・脱水され、細切れになるはらみ達。

やめてくれ。網で焼いて食わせてくれ。頼む。

そんな恐ろしい拷問現場を想像してしまうコインランドリーなのだった。

多分、こんな写真を撮っている当時の私はテンションが高めだったんだと思う。

かっとう耳・鼻・科。お姉さんがやさしくささやくように、「かっとう じ・び・か」。

「そんなことしちゃ だ・め・だ・ゾ」みたいな。中耳炎治しちゃう・ゾみたいな。塩水で鼻の中洗浄しちゃう・ゾ。ちょっと い・た・い・ゾ。

痛いのはお前だと言われそうなのでこの辺にしておく。


そういえば四国に来てから少しだけ頭の隅にあった八十八箇所めぐり。その三十三番目がここにあった。

ふうん、そうか。

坂本竜馬に頭を支配されている私は、先を急ぐことにした。


レンガで出来た、由緒正しそうな建物があった。

歴史上の重要な建物だろうか。と思ったら、「ホテル皇邸」という名の、壊れたラブホテルだった。

看板を外して、「坂本竜馬が前を通りがかったと言われる建物」とでもしておけば勘違いした観光客が来るかも知れないな。


さらにしばらく行くと新川川という川が。なんて語呂が悪いんだ。

シンカワカワ!シンカワカワ!シンカワカワ!

早口言葉にもならないという、中途半端な語呂の悪さだ。


えー、なが…ちょうしゅうわれ…えー、がんしんこう…の墓だということだ。

150m先といえばすぐそこだ。どっかで見たような名前ではある。しかし、特に興味のわかなかった私はそのまんま進んだ。

今調べたら、ちょうそかべもとちかこうと読むらしい。


再び海に出てきた。もう少しで桂浜らしい。


ざぱーん。ざざーん。

寄せては返す波を眺める。いいとこだなあ。

ペットボトルのお茶を飲み、しばしのんびり。


おお、船だ船だー!


波だ波だー!


砂浜だー!


沖だー!


右手の砂浜だー!


さて。

竜馬も見ていることだし、はしゃぐのもほどほどにして、私は先を急ぐことにした。

<続く>
<続き>
海沿いの道を進む。右手には私のテンションをあげる、ざざーんざっぱーん現象が頻繁に起きていた。

この海の先には…えーと、高知の南ってどこだ。オーストラリアとか、あとなんだっけ。えー、遠くて見えるはずもないが、何かがあるはずなのだ。

そんな遠くのことよりも身近でおきるざっぱーんを楽しむことにしよう。


島だ!

いや、島というか、岩だ!

ここで海沿いの道はいったん終わり、上り坂になった。自転車が来ることなど想定していない道路を、私は自転車を押して登る。

桂浜に行くためにはいったん登らないといけないらしい。やがて巨大な駐車場に到着する。車は有料だが、自転車は無料だ。ふふふ。無料大好き。駐車場の奥に桂浜があるらしい。そして、桂浜があるのをいいことに儲けてやろうと色んな店があるらしい。

龍馬の店と言い切ってしまっているみやげもの屋。

言ったもん勝ちという感はある。

闘犬センターもあった。土俵の上で犬同士がバトルするという闘犬。のんきそうなおっさんの声で客寄せのアナウンスをしている。

闘犬たちはぁ〜、たとえその身を食いちぎられようともぉ〜、決して戦うことをぉ〜、やめないのですぅ〜。

そして、そんな食いちぎりあいを飯を食いながら見れるということだ。うへぇ。

一階は巨大なみやげもの屋で、高知・土佐・竜馬と名のつくものは全てあるんじゃないかと思われた。

そしてやってきたぞ、桂浜に。桂浜と書いてるので間違いない。



桂浜を見下ろしてみる。案外狭かった。ここが桂浜ってだけで体が熱くなってきやがる。波は結構激しく、遊泳禁止だった。

この浜で坂本竜馬が…えー、武市半平太が…うーん、岡田以蔵が…あー、きっとなんかをしたんだと思うと興奮した。調べてみたが、桂浜で何をしたのかはよくわからなかった。きっと休みの日に釣りぐらいはしてるだろう。

沖の方には黒船が来航していて、開国して下さいよぉ〜と叫んでいた。


先に進むとxx先生の石碑があった。写真から名前が読み取れない。ちゃんとメモっとけばよかった。


さかもっさん!

会いにきたよ、さかもっさん!初めて見る坂本竜馬は巨大だった。右手を着物の内側に入れている。

雨の日を乗り越えて、最終日にやっと晴れて、ついに会えた坂本竜馬。私は軽く感動したが、まわりには観光客がいっぱい居たので冷静を装っておいた。

それにしても、下から写しすぎだ。


ちょっと移動してもう一枚。

そう、いいよいいよー。いいねー、そうそう、いいよー。

ニセカメラマンのようなことを考えながら写真を撮る。

うむ、これはなかなかいい角度だ。


ふと横を見ると、「まっことうまいアイスクリン」が。アイスクリームではなく、アイスクリン。違いはなんだろう。

じっと観察しているとやや堅そうなシャーベットっぽいアイスのようだ。買ったときに「まっことうまいぜよ!」と言ってくれるんなら買ってもいい気がしたが、特に買ったりせずに見守っておいた。


坂本竜馬の背後に回って写真を撮る!

実は一番いい感じに写真が取れそうなところは記念写真屋が陣取っていたのだ。さすがだ。


そして、坂本竜馬像は昭和3年に作られたという。もうかれこれ80年くらい前だ。

今気づいたが、T.N、落書きすんな。


下駄にマント、学生服。昔の番長マンガに出てきそうないでたちの人が、カリフォルニアのことを思っている石碑だ。

「この浜よする大涛はカリフォルニアの岸を打つ」

どういう思いが込められているのか。

こっから出てった大波はよう、いずれカリフォルニアをばしゃあと打つんだぜ。俺達もよう、そんなでっけえことをやりてえよなあ。

本当にそんな思いが込められているかはわからない。

さっきの言葉は「豪気節」という歌の一節だった。

数え歌っぽくて、一ツトセ、なんとかかんとか、そいつ豪気だね、という歌詞の繰り返しだ。

一ツトセ、昔、ストリートファイターってゲームにそういう名前の奴いたね。そいつ豪鬼だね。

そんな替え歌を考えてみた。多分、同じことを考えた奴はいっぱいいるはずだ。けど、検索してみたら一件も引っかからなかった。

そしてしつこく坂本竜馬の後姿を撮る。

多分、めちゃめちゃ興奮してたんだと思う。興味のない人にも見せまくりたいぐらいに。

「見てよ見て見て!坂本竜馬だよ!ほらほら!すごいよ!すごいよ!」
「ああそう、ふーん。」
「なんだよその態度!見ろ!正面、背後、斜め、各種あるんだよ!」

そんな感じ。内面はそんな風にバーニングしながらも、外見は淡々と写真を撮ってるわけだ。内に秘める興奮。

桂浜に降りて、ざっぱーんを間近で見てみる。

波の射程距離が長い。寄せる。返す。時には小さく、時には大きく。

そんな動きをいったいいつから続けているのか。そりゃあ海が出来たときからだろう。海が出来たのっていつごろなんだろう。

それは、私の想像の及ぶ範囲外だ。3億年前とか言われてもピンとこない。じいちゃんが若かった頃と言われればぎりぎり想像できる。ひいじいちゃんが若い頃となると、もうだめだ。

そんなことを考えているとあっというまに時間は過ぎる。私は1時間くらい波打ち際を見ていても全く苦にならない。

近くにある水族館で、アシカか何かが「ウキョキョキョキョ!」と鳴いたのを合図に、私は桂浜を去った。腹が減ったのだった。

みやげ物やゾーンに戻る途中、鳥居があった。

仏友会のたけながさんが、鳥居を見て回っては分類して楽しむという、変わったことをやっているのを思い出した。私にはよくわからないが、鳥居の上に小石がいっぱい乗っているのを見て、そういう風な遊びをするやつが結構居るんだなあと思った。


食いちぎりあいの闘犬案内が書いてある。今は11時、開始は13:00だ。やっぱり、見る気にはなれなかった。

とりあえず適当な食堂に向かう。


安易な便乗商売がここに。

そう、なんでも坂本竜馬ってつけとけば観光客は喜んで買うわけだ。中身がアサヒビールやキリンビールでも全く問題はない。

私はビールよりも、その年代モノの冷蔵庫に興味がわいた。


めしー!


ここだけちょっと写真を大きくしてみた。くじらのたたき定食、1900円だ。うまそー!

喰い始めてしばらくすると、子どもの団体が入ってくる。ものすごい騒ぎだ。こんな中で会話したりするとめちゃめちゃ疲れるだろうな。

「おれさー」
「えっ、なにー」
「おまえのことあいしてるー」
「なにー、きこえなーい」
「なんでもねーよー」

とかそんな会話をするにはいいかも知れない。幸い、私は一人の身なので、大声を張り上げて会話をする必要もない。

くじらのたたきにねぎ、にんにく、たまねぎを乗せてポン酢につけて食べる。独特の臭みは消えて、くじらの味が口の中に残るのだ。

定食についていた白身魚のフライも時々かじってみる。これは普段食べてる冷凍食品のフライと違いはわからなかった。

くじらのたたきは量が多すぎて、ご飯を食い尽くした後も1/3くらい残っていた。たたきだけを黙々と食い続ける。そういえば昨日の夜も似たような光景が。

ごちそうさま。私はにぎやかな食堂を去った。

桂浜で見たいものはだいたい見終わった。

駐車場に戻り、自転車の鍵を解除する。駐車場の横手から橋が見えた。いい天気。

出発しようとしたところ、駐輪コーナーの日よけの柱のところに50円玉が落ちていた。落としたのは私ではない。

あたりを見回し、50円玉をうげほっげほっ、自転車にまたがって出発した。

そう簡単には来れない桂浜。けど、私なりに色々思い出を心に刻んだよ。さようなら坂本竜馬。さようなら桂浜。さようならくじらのたたき定食。

やり残したことはなかったかなと考えつつ、私は桂浜を後にした。

<続く>
<続き>
桂浜を後にし、高知駅方向に戻る。

海の見える楽しい道路が終わり、やがてなんということのない町並みに。

そんな町並みにある、はちきんの店。

はちきん。

いやぁー、もう食いすぎて腹がはちきんだよ!

去年のスカート、腰のあたりがはちきんだわ…

というふうに使うと誤解していたのだが、「元気のよい女性」ということらしい。「おてんば」あたりが意味としては近いのだろうか。

徐々に高知駅に近づく。高知駅近辺に見ておきたい場所があるのだ。

昔は何かと坂本竜馬をいじめていたが、大人になって竜馬が大物になってくると一緒に仕事をしたりした後藤象二郎。

なかなかの大人だ。

その後藤象二郎の生家跡にやってきた。


そこには生家も跡もなにもなく、石碑と幼稚園があるばかりだった。

そうか、当時の木造家屋なんて保存できないだろうからなあ。

しょうがないけど、残念な感じ。


続いて、板垣退助の生家跡に来てみた。

やはり有名な人だけあって、石碑にも先生と書かれている。政治家を先生と呼ぶ習わしはこんなに昔からあったということか。


そしてそこは、寺だった。

生家跡というと、どうしても当時の家の面影くらいは残ってるんじゃないかと想像してしまうが、ほんとに『跡』だ。


そして最後に竜馬の生家跡へ。向かう途中、全く関係ない石像があった。

いなばの白兎だということだ。

生きながらサメに皮をはがれた兎が泣き寝入りするという残酷な話だったかな。

その兎に手を差し伸べている人に関しては全くわからない。というか、いなばの白兎という話自体、よく覚えていない。


到着した。竜馬の生家に。

それは、ビルとビルの間に挟まれた、古びた石碑だった。

ほんとは邪魔なんだけど、壊したら色んな奴らが文句言うから手を出せない、とでも言わんばかり。考えすぎだろうか。


そしてそこは病院だった。

有名人の生家とは言っても、扱いはあんまり大きくないらしい。想像では関連のみやげ物くらいは売っているものだと思っていたが。


ただ、対面のベンチには坂本竜馬の写真があり、わざわざ訪ねてきた人が一休みできるようになっている。

少しほっとして、私はその場を去った。


はりまや橋のところまで戻ってきた。

ちゃんと近くで写真を写してみる。

このとき、橋のところで、おっさん二人におばちゃん5人というよくわからない組合わせの団体が写真を撮っていた。


ホテルに戻る。

なんだか、終わった感じがしていた。高知まで来て、坂本竜馬を見たのだ。今回も特に当初から目的をはっきり決めていたわけではないが、なんとなくやり終えた感じに満ちていた。

ホテルから徒歩で駅周辺をうろつきはじめる。メシを食うためだ。

そして、商店街でメシを買って帰ってくる。どっかの店で食えば良かったような、この辺の人が普段食ってるようなものを食ってみたかったような。多分、あまり深い意味はない。

結局、ドーナツ屋に行ったり、スーパーに行ったりして、適当なものを買ってきた。

竜馬の名のついた焼酎もだまされて買ってみた。

メシを食う。焼酎を飲む。なんとなくテレビをつけてみる。

酔っ払った私は横になり、寝た。夜中に寒くて目を覚まし、ちゃんと布団をかぶって寝なおした。

そして、朝になった。

冒険しようぜ(四国編)5へ続く

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