更新できずにごめんなさいの真実

Blog向上委員会: 更新義務?を読んで。

 

私も数年前は、「昨日は更新できなくてごめんなさい」「先週は更新できなくてごめんなさい」「ここ3ヶ月ほど更新してなくてごめんなさい」「半年ほど音沙汰なくてごめんなさい」などとサイト上で謝りまくっていた。

 

なんで更新しなかったことを謝るのか、自分に正直に分析してみた。

 

多分、こういうことだ。

 

---
私の発言力はネット界をぐらぐら揺らすほど強力なものである。いずれネット界を支配し、王者として君臨して酒池肉林に溺れる予定だ。

 

そんな私であるから、何気ない日常日記でさえも、読むものの心に深く突き刺さり、その者の今後の人生に大きな影響を与えるはずである。一度私の日記を読んだものは、一種の中毒症状と成り、私の日記なしには生きていくことは出来ない。私の日記を求めて夜な夜なネットをさまよう、ネットゾンビと化すのである。

 

私は必要とされている人間である。私が更新しないという事実は、実に多くの人が嘆き悲しむということである。だから私は言う。

 

「昨日は更新できなくてごめんなさい」
私が更新しなかったせいで、多数の死傷者が出たり、犬にかまれたり、たんすの角で足の指を強打してのた打ち回っている人たちに、せめて一言謝っているわけである。
---

 

と、多少大げさな表現をしたが、多分そんなようなことを考えていたんだと思う。

 

平たく言うと「私、必要とされてますよね?」という確認をしたかったわけだ。更新しない日には「どうしたの?何があったの?」と何人もの人に心配してもらいたかったのだ。

 

例えるなら友人に、「私が死んだら葬式に来てくれる?」と聞くようなものだ。

 

これはあくまで私の場合であり、他の人は違うかも知れないと断りを入れた上で言おう。

 

「更新できずにごめんなさい」は、一見読者に対して申し訳なさそうな顔をしながら、自分がいかに他人に必要とされているかをアピールするという、裏のある言葉だったのだ。

 

再度言っておこう。あくまで私の場合である。

 

ちなみに、「更新できずにごめんなさい」と言っている者に対して、「いや、いいですよ期待してませんから」という類の言葉はカウンター気味に傷つくので、どうか容赦してほしい。

 

最近はどんだけ更新してなくても何事もなく再開するようになったなあと思いつつ今回の日記を終わる。