老化

カレーを注文するとたまについてる、らっきょう。ご飯に甘酸っぱいらっきょうの汁がしみこんでいたりする。

 

何をするんだ。カレーが台無しだ。

 

私はらっきょうが嫌いだった。食えないことは無いが、不要なものの一つだった。

 

梅干もそうだ。コンビニでおにぎりを買おうと思ったら梅干入りのやつしか残ってなくてしぶしぶ買う。どうせ残るんだから梅干入りのおにぎりなんかつくらなきゃいいんだ。

 

おくら。五角形のえたいの知れない野菜。ねばねばするだけなら納豆でいいじゃないか。

 

しょうが。何が岩下の新ショウガだ。

 

しいたけ。きのこなんかより肉食わせてくれ、肉。

 

そんな風に思っていた食べ物たち。ふと気がつくと、彼らが好きになっている自分が居る。

 

もちろん、肉が好きだってのは変わりない。しかし、油への耐性が弱くなっているのも事実。

 

ラッキョウとかショウガの驚くほどのうまさ。食わず嫌いではない。食った結果、マズイと判断した食べ物たちだった。これらの食べ物が急においしくなったわけではない。私の味覚が変わってきたのだ。

 

今まで苦手だったものが好きになる。人生において、これは「成長」と呼ぶが、こと味覚に関しては「老化」と呼んだほうがしっくりくる。

 

私は切ない気分で梅干の種を吐き出し、らっきょうをむさぼり食った。岩下の新ショウガをばりぼりと食う。

 

隣で、生まれてからずっと魚ばかり食っている飼い猫が大あくびをしていた。