あの人は今


 昔仲良かった友達で、今は音信不通の人っているだろう。
 ふと思い出して連絡を取ってみようかなと思ったら、既に連絡先や住所を紛失してしまってどうしようもなかったりする。
 向こうからも連絡は来ない。もしかしたら亡くなっているのかも知れないし、過酷な運命に襲われているのかも知れない。私のことは特に思い出さずに幸せに暮らしているのかも知れない。
 だが、向こうも同じように時々思い出しては連絡を取りたいな、などと思っているのかも。
 Mえだ氏の場合は、2年間音信不通で、超久しぶりに電話したら私のことがしばらくわからなかった。たかだか2年でそれだ。
 今、私が連絡を取りたいと思う友人は二人いて、一人は6年ほど音信不通、もうひとりは10年ほど音信不通なのだ。二人とも、まったく連絡手段がない。
 もしも相手が連絡をとりたいと思っていて、ダメモトでネットを検索してここにたどりついたときのために、道しるべを書いておこう。
 ■ここから道しるべ
 一人は、西村 賢君。たしか、ケンちゃんと呼んでいたと思う。私より2つ年下で、10年ほど会ってない。体が大きく、眼鏡をかけていて、車好きだった。4ツ目ライトのセリカに乗ってたと思う。大阪府茨木市在住で、当時は「タンスポ」と呼ばれるゲームセンターで夜を徹して遊んでいたのだ。正月にスキーに言ったこともあったな。彼には森田君という友人がいて、ちょくちょく行動をともにしていた。西村君は10年前に結婚したので、今は成長しつつある我が子を育てるのに忙しいのかも知れないな。
 もう一人は、船生 和幸さん。会社の仕事で知り合った人で、私の6つ上。6年ほどあっていないので、私の年齢はちょうど当時の船生さんと同じになってしまった。中野坂上在住で、当時はよく歌舞伎町に飲みに行っていたが、今はどうなんだろう。夜中にローラーブレードをして遊んだこともある。ものすごく頻繁に飯を食いにいっていたな。
 私が誰なのかわからないときは、この本の著者を見て欲しい。それでも思い出せなかったらもういいや。
 これを見て、なおかつ、連絡がとりたいなと思っていたら私宛にメール下さい。 高価なツボを買えとか、新しい神様を信じろとかそういうことではないので、どうか安心してください。
 この記事は2007年9月に書いたものですが、この記事を発見したのが10年後だったとしても、20年後だったとしても気にせずメールを下さい。
■20年後にもこのサイトはあるのか?
 わからないけど、10年後くらいにはまだかろうじてあるんじゃないかなあと思いつつ、今回の日記、というか、探し人を終わる。