ジャケットを探しに行く

そろそろオヤジと呼んでも差し支えない年齢に達しつつある私は、ジャケットを買いに出かけていた。

 

 年齢に相応の、落ち着いた感じが欲しい。苦労して身に着けるのではなく、そのへんの店で売っている「落ち着き」をお金で手に入れたいのである。私の頭に浮かんだのが、エリのついている上着を着ていればなんとなく落ち着いたように見えるのではないか、ということだった。

 

 私の持つ普段着の中に、エリつきの上着はほとんどない。私の持つ服の適正年齢を私の実年齢が追い越しつつあった。外出したときに、コンビニのガラスにうっすらと写るミスマッチな服装の男。それが今の私なのだった。

 

 ものすごく晴れた日だった。まだ五月だというのに夏のようだった。

 

 伊勢丹とかマルイの服のコーナーには怖くて近寄れない。私が選択したのは洋服の青山だった。

 

 めちゃめちゃかっこいい服は望んではいない。無難な、小ぎれいなおっさんになれればそれで満足だった。チョイワルなんかにも興味はない。

 

 洋服の青山には、無数のスーツが展示されていた。私の求める、普段着として着られるジャケットは、「トラベルジャケット」というコーナーにあった。カラフルである。

 

 黄色がかったクリーム色の春らしい色のスーツに手を伸ばしたとき、あるイメージが私の頭に浮かぶ。

 

 カラシ色。

 

 それは、薄いカラシ色と呼んでも差し支えない色であった。着こなし能力の低い私が着れば、たちまち10年前の漫才師と化してしまいそうな予感があった。ついうっかり、巨大な蝶ネクタイも結んでしまいそうである。

 

 やめておこう、カラシ色は。

 

 続いて、淡いグリーンのジャケットに目が移る。すごく春っぽいのではないか。ジャケットを緑、シャツを黄色にすれば、春の花々をイメージできるのではないか。美しい蝶が私の周りを舞うのではないか。

 

 だが、私の着こなし能力により、花々どころか芋虫と化してしまうイメージが頭に浮かぶ。蝶になりきれない芋虫。芋虫は嫌いだ。

 

 やめておこう、芋虫色は。

 

 頭の中に次々とネガティブなイメージを浮かべながら、私は消去法でジャケットを選んでいく。最後に残ったのは、薄い茶色のジャケットだった。浮かんだネガティブイメージは「枯れ木」。枯れ木ならば、あの人枯れ木みたいと陰で言われてもなんとか耐えられるのではないか。

 

 枯れ木に花を咲かせましょう、という前向きな言葉もある。完全納得した私はお金を支払い、家に戻った。

 

 袋からジャケットを出す。枯れ木色だ。買ったときは完全納得していたはずだった。しかし、今の私は、なぜもっと春らしい色を選ばないのか、と当時の私を責め続けた。当時、そう、1時間ほど前の私をだ。

 

 長時間会議を続けていると、最終的には疲れてめんどくさくなって、どうでもいい案を採用してしまうという現象が思い出された。

 

 落ち着くんだ。春はもう終わりつつある。夏もあっという間に過ぎて秋になるだろう。そうしたら、枯れ木色もそんなに悪くないのではないか。そうだ、前向きな考えではないか。

 

 秋に着るには幾分、布の薄さが気になるそのジャケットを横目で見つつ、今回の日記を終わる。